大泉茂基(おおいずみしげもと)
強さと優しさあふれる、版画への真摯
優れた郷土の版画家で詩人としても知られている大泉茂基は、大正2年6月10日、郡内有数の富豪であった大泉宗七郎・初代の長男として船岡に生まれた。
父・宗七郎は無教会派のキリスト教徒内村鑑三に師事した敬虔なクリスチャンで、その影響を幼い頃から受けていた大泉の作品はキリスト教的なものを媒体として表現される作品が多かった。
白石中学校を経て、昭和8年に、東北学院高等部文科に入学した大泉だったが、昭和9年には退学。その後、大泉は版画の研鑽を積み、多くの人に認められるようになり、昭和24年春には、大泉が残した唯一の詩集で、我が子のために作った版画詩集「けやき」を出版。そして昭和26年にはNHK仙台放送局の音楽番組「詩と音楽の時間」で朗読される詩の原稿も担当するようになる。
ところが、昭和31年12月、胃癌を発病していることが分かり、手術を受けることになって入院。
これを境に大泉は生計のための仕事はせず、作家活動に没頭。昭和30年に制作した版画「詩人Kさん」、「男の顔」には、大泉の版画制作への情熱と努力が見える。32年、抽象版画の最初の作品「最後の日」や「けやき」は、著名な詩人郡山弘史氏の高い評価を得る。
昭和32年10月、大泉は初めての個展を開催。この頃から34年夏までの2年間、最も充実した作家活動を展開し、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」から想を得た「La Nocturn」や連作「夜」など、抽象版画に新境地を開きつつあった。しかし、昭和34年12月に癌が再発。翌年1月22日に46歳で永眠する。
現在、大泉の作品の多くは、宮城県美術館に保存され、一般に公開されているが、大泉の情熱あふれる力強い作品は今もなお多くの人々に、深い感銘を与え続けている。
登録日: / 更新日: