平成29年度
H30.3 船岡城址公園と郷土愛
今月、船岡城址公園山頂が、歴史文化エリアとして、大きく変わります。
二ノ丸にあった原田甲斐、柴田外記の供養塔が山頂に移設され、山頂売店は「天空カフェ」と名を変えて営業を始めています。また、スロープカー山頂駅を降りてからの急な坂道もバリアフリー化し、歩きやすくなりました。
このように、観光施設の充実を図りましたので、私としては、昭和45年放映のNHK大河ドラマ「樅の木は残った」以来の観光ブームの再来を期待しているところです。
船岡城址公園の歴史は古く、中世においては、豪族がこの地方を支配する根拠地としていましたし、旧藩時代には、伊達家の重臣として知られる柴田氏が居城を構えていました。船岡の地にゆかりのある二人の武将たちには、この山頂から、これからも柴田町の行く末を見守っていただきたいと思っています。
私にとっても、眼下に広がる船岡の街並みや白石川、阿武隈山地の美しい景色、さらに、歴史、文化が息づく船岡城址公園は格別なものとなっており、何としても国内外の観光客に堪能してもらいたいとの思いを込めて観光まちづくりを進めてきました。
ここ十年間、船岡城址公園を整備してきた結果、「女性一人でも安心して散策できる」として、ウォーキングをする人が格段に増え、また、四季折々の花まつりやファンタジーイルミネーションを開催することで、鉄道写真家いわゆる「撮り鉄」や、多くの外国人観光客もやって来るようになりました。
一部町民の方からは、「行政主導の観光は長続きしない」との批判の声も聞かれますが、実は、柴田町の観光の礎を築いたのは、まさに、民間の方々なのです。大正時代に、飯淵七三郎氏が、「何かふる里に誇れるものを残したい」との思いから桜を植栽し、それを後世の「柴田町さくらの会」の皆さんが大切に育ててきた歴史があります。
このように、自分たちが住んでいるふる里への郷土愛が下地として根付いているから、「花のまち柴田」への好感度が高まってきているのだろうと思います。
柴田町のシンボルである桜や、歴史が息づいている船岡城址公園を次の世代に引き継いでいくのが、私たちの役目であり、それが、私たちを育んできた郷土や先人たちへの恩返しになるのではないかと思っています。
平成30年3月 滝口 茂
H30.2 街並みのリニューアル
二月は、一年で最も短い月であることから、よく、「二月は逃げる」などとも言われます。また、商売をする上でも、二月と八月は一年の中であまり売り上げが伸びない月だと言われているそうです。
八月はモノを買うより、アウトドアや旅行にお金を使うことが多く、二月はまだ寒くて、外出する気分にならないのが要因かもしれません。
それに加えて、最近では人口減少の波が地方経済に影を落とすようになり、消費全体が落ちていることも売り上げの減少に拍車をかけているようです。
売り上げが落ちてくると、決まって行われるのが、クリアランスセールや店舗のリニューアルです。昨年、仙台市の長町にある大型ショッピングセンターがリニューアルオープンしました。外観はモダンになり、店舗内には絨毯が敷かれ、おしゃれな雰囲気に変わりました。
消費者のターゲットを高齢者から若いファミリー層まで広げたこともあってか、店内の通路は広くなり、休むことができるソファが多く設置され、また、小さな子どもが伸び伸びと遊ぶことができる広場もできていました。そうしたリニューアルの効果が現れたのか、以前より集客力が高まったように思えます。
私も常日頃から、これまで以上に柴田町への集客力を高めるためにはどうしたら良いのか考えています。まずは、自然災害への対応や、社会的セーフティネットを構築した上で、美しく快適な街並みにリニューアルすることが必要ではないかと考えています。
具体的には、街中に緑豊かな街路樹や公園、ベンチなどのパブリックなスペースがあり、その界隈でコーヒーショップやキッチンカーが利用できれば最高です。さらに、より豊かなスポーツ文化を楽しめる総合体育館や図書館が配置された街並みができれば申し分ありません。
そうした街並みを舞台に、町民や行政、さらにクリエイティブディレクターと呼ばれる、まちづくりの専門家と組んで、各種イベントやマルシェやスポーツ大会などが常に行われるアクティブな町になれば、これまで以上に誘引力が高まると思っています。
こうした自主的な活動が積み重なっていけば、町への誇りや愛着、いわゆるシビックプライドが醸成され、次なるまちづくりへのステップアップに繋がると思います。
まだまだ寒い二月。こたつに入りながら※ランドスケープデザインによって、リニューアル化した未来の柴田町の都市像を思い描いています。
平成30年2月 滝口 茂
※緑豊かな街路や公園を計画的に配置し、街全体の景観美を創造していくこと。
H30.1 子どもたちには「夢」を お年寄りには「安心」を 地域には「イノベーション」を
新年明けましておめでとうございます。
本格的な人口減少時代を迎え、我が国においては、様々なリスクが顕在化し、言いようもない不安感に包まれています。
特に地方においては、2014年5月に発表された”増田レポート”によって、人口減少問題がクローズアップされ、これを契機に、国は地方創生に全力で取り組むことになりました。大規模開発や企業誘致といった外発型の地域振興政策から人口減少時代を見越し、交流人口の拡大によって人をまちや地域に呼び込む内発型の地域振興政策への転換です。つまり、外部の力に依存するのではなく、地味ではありますが、じっくりと自立型へと体質改善を図る新たな地域活性化戦略です。町も地方創生が謳われて以来、「花のまち柴田」のブランド化を独自の政策として掲げ、観光地としての魅力づくりや受け入れ体制の整備、さらにプロモーション活動を展開してきました。
その結果、昨年の桜まつりには、外国人観光客専用のバスを含め、234台の観光バスが船岡城址公園に乗り入れるとともに、2,500人余りの外国人観光客の皆さんに、船岡城址公園や白石川堤の一目千本桜のお花見を堪能していただきました。また、特筆すべきは、「花のまち柴田」の名声が着実に高まったこともあってか、町を応援するふるさと納税に、想定を越えた1臆4,000万円余りの寄付が集まったことです。
この勢いをさらに加速し、今後も町が元気であり続けるためには、短期的に訪れる交流人口の拡大にとどまらず、定期的に何度も訪れるリピーターを増やし、特産品を買ってくれたり、応援寄付をしてくれる柴田町のファンを拡大していく政策が大変重要になります。人と人とのつながりをさらに強固なものにしていく取り組み、いわゆる「つながり人口」こそが、町の未来を切り拓く新たなキーワードになるのではないかと考えています。
今年は、歴史や文化遺産、美しい農村景観や恵まれた自然環境など、町独自の特性や魅力を国内外に発信していくシティープロモーションやインバウンド※1政策を進化させるとともに、行政サービスの質を高め、子ども達からお年寄りまで、全ての人たちが安心して住み続けられるための重点政策5項目を掲げ、町政を推進して参ります。
【シティプロモーションの推進】
一つ目は、シティプロモーションによる人を呼び込む政策です。
国や県のインバウンド政策の本格化や、仙台空港の民営化による格安航空会社LCCの就航により、東北を訪れる外国人が飛躍的に増加し、その影響は町にも及んでいます。
多くの自治体や観光DMO※2がプロモーション活動にしのぎを削り、地域間競争が激しさを増す中で、「花のまち柴田」が多くの観光客に旅先として選んでもらえるようにするためには、これまで以上の観光コンテンツの充実と、広域観光周遊ルートの整備が重要になってきます。
今年の3月までに、船岡城址公園では、さくらの里のサンルームの増築や山頂売店の新築、原田甲斐・柴田外記記念碑を移設した歴史エリアの再整備、山頂バリアフリー園路の完成、さらに、白石川千桜公園においては、水路を横断する平橋が完成し、観光地としての魅力が格段と高まります。
また、宮城インバウンドDMO推進協議会や一般社団法人宮城インバウンドDMO、しばたの未来株式会社、柴田町商工会、柴田町観光物産協会などと連携し、仙南各地域の魅力を結びつけたテーマ性、ストーリー性のある周遊ルートを整備し、シティプロモーションを通じて、国内外から人を呼び込んで参ります。
【快適な観光づくり】
二つ目は、緑豊かで賑わいのあふれる公共空間の整備です。
町中に賑わいを創っていくためには、季節感溢れる公園や街路樹、水辺空間などのオープンスペースやスポーツ文化施設、活気ある商店街など、人と人とが交われる交流拠点の整備が欠かせません。
こうした公共空間が整備された中で、町民の皆さんによる自主運営のイベントやお祭り、音楽祭やスポーツの祭典、マルシェの開催などが頻繁に行われることによって、人と人との出会いや交流が生まれ、若者にとって楽しい雰囲気が漂う町に変貌していけるのではないかと思っています。
今年も地方創生推進交付金や東北観光復興対策交付金などを活用し、花マルシェやうまいものマルシェ、まちゼミ※3の開催、光のまちづくりライトアップ事業を通じて、交流人口やつながり人口を増やし、中心市街地や商店街の活性化を図って参ります。
また、都市の標準整備の一つである総合体育館の着手時期については、今年の12月までに明らかにするとともに、図書館の建設についてもロードアップを作成して参ります。
また、町営住宅3階建て4号棟については工事を発注しましたので、計画最後の建物となる3階建て5号棟についても、建設に向けた準備を進めて参ります。
【地域の魅力の創造】
三つ目は、地域に稼ぐ力や地元力をつけることです。
伝統や風物詩、農村風景や郷土食など、先人から受け継がれた宝物を住民自ら調べ、再発見したのが、「しばた百選」です。
今回再発見された資源に創意工夫を加え、地域の宝物として磨き上げ、地域外とのつながり人口を増やしている集落が、槻木の上川名地区です。自分たちの集落は自分たちで元気にしたいと意気込む自発的な取り組みは、さらに、濁酒(どぶろく)の製造販売へと発展し、いわゆる集落ビジネスへと成長しようとしています。
こうした地域での小さな取り組みは、柴田町商工会女性部の「雨乞の極」の製造販売や入間田地区の有志による雨乞のゆずを使った商品開発へと波及しています。
また、新年早々、町で初めて法人化し営農組織が「ぜいたく味噌」の製造販売の強化に向けて、作業所を新築することになりましたので、町も側面から支援して参ります。
さらに、フットパス全国大会を誘致し、「しばた百選」の魅力を全国に発信して参ります。
あくまで、地域づくりやまちづくりの主人公は、先人たちの暮らしぶりを今に受け継ぐ地元の住民です。外部の人材やまちづくりの専門家にはアドバイスを受けても決して依存せず、地元に住んでいるからこその視点や発想で地元に稼ぐ力をつけ、持続的な集落づくりになることを期待しています。
【安心して暮らせるまちづくり】
四つ目は、頻発する自然災害への取り組みや、地域の助け合いや支え合いの機能低下による、無縁化する社会への対応です。
柴田町は自然災害、特に水害については、阿武隈川と白石川が末端で合流するため、内水被害に見舞われるリスクが他の自治体より高くなっています。
昨年、局地冠水対策マニュアルを作成した剣水地区、槻木上町・下町地区、北船岡1丁目地区においては、早急に堤防のかさ上げや側溝整備、排水用の常設ポンプの設置を行った結果、10月23日の台風21号の襲来の際には、あまり大きな被害に見舞われずに済みほっとしたところです。
今年は、4月から専門的な知識と経験を有する地域防災マネージャーの配置を検討し、ハード、ソフト両面からの総合的な防災・減災対策を一層強化して参ります。
地域福祉の面においては、高齢者の方々や子どもたちが安心して心豊かに暮らせるよう、地域包括ケアシステムの構築をして参ります。また、家庭の経済状況に関わらず、子どもたちが自分の可能性を開花させ、未来を切り拓いていける力を培っていけるよう、子ども食堂などの居場所づくりや放課後先生による学習支援を盛り込んだ、子どもの貧困対策整備計画を策定し、子どもの貧困の連鎖を断ち切って参ります。
また、待機児童の解消に向けては、今年の4月から新田地区に民間の小規模保育園が開所します。
さらに、平成31年4月を目標に、槻木地区へも小規模保育園を誘致して参ります。
【教育・子育て環境の充実】
五つ目は、未来を担う子どもたちが、自分の可能性を自分の力で切り拓いていく力を養っていく学びの場である学校環境等の整備です。
今年は、東船岡小学校の大規模改修、船岡中学校の暖房機のFF式化、さらに全校にLANを整備しIT時代に強い子どもたちを育てて参ります。
また、グローバル化時代の中にあって、国際化に対応できる子どもたちを育てるために、放課後英語楽交(がっこう)をより一層充実させて参ります。
さらに、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、ベラルーシ共和国の新体操女子チームのホストタウンに選ばれましたので、今後ナショナルチームと子どもたちの交流を通じて、世界と繋がる子どもたちの育成に力を入れて参ります。
また、4月に柴田小学校に放課後児童クラブを新設するとともに、平成31年4月からは、各放課後児童クラブにおいて1年生から6年生までの受け入れ体制を整備し、安心して子育て・子育ちができる環境を整備して参ります。
人口減少が避けられない縮小社会を迎えた今、より豊かに、安心して暮らすことができる柴田町をどのようにして築いていくか、私たちの力量が試される時です。
明るい未来を手にするには、まず、地域に愛着と誇りをもっている地域住民が立ち上がり、「少しでも住みよい町に変えていきたい」、「自らの地域のよさをアピールしたい」と行動するところから始まります。
なぜなら、地元に住んでいるからこそ、自分のまちや地域が置かれている現状をしっかりと見据えることができますし、町の外に住んでいては気づかない地域のにおいや魅力を語ることができるからです。
さらに、今後のまちづくりにおいては、地元住民だけではなく、通勤している他の町の人や企業、NPO、専門家など、ともに地域課題の解決に向けて一緒に地域イノベーション※4を起こしていくことも重要になってきます。
我々自治体も、地域が大きな曲がり角に立っている今だからこそ、社会改革の好機と捉え、新たな発想と住民との協働、さらにそれを裏付ける財務体質の改善を図りながら、役所文化のイノベーションに努めて参ります。
私も柴田町のイノベーションに向けて、まちづくりに関わる意欲的な町民や、柴田町を応援したい人を増やすしくみづくりに全力を挙げて参ります。
今年は「子どもたちには夢を」、「お年寄りには安心を」、そして「地域にはイノベーションを」をスローガンに掲げ、柴田町に住んでいることを誇りに思えるまちづくりに向けて、全力投球して参ります。
改めて、柴田町の未来への責任、将来世代への責任を果たしてくのが、行政のトップとしての私の使命ではないかと意を強くしているところです。
今年もよろしくお願いいたします。
平成30年1月 柴田町長 滝口 茂
※1:インバウンド・・・訪日外国人旅行者。
※2:DMO・・・Dsetination Management Organizationの略。地域の観光資源に精通し、地域と協同して観光地域づくりを行う法人。
※3:まちゼミ・・・得する街のゼミナールの通称。商店主が講師となって、専門知識やプロならではのコツを教えるゼミ。
※4:イノベーション・・・社会に変化を起こすこと。革新。
H29.12 犯罪の未然防止
街中にジングルベルの音色が響き、街路樹にはイルミネーションが光輝く、華やいだ雰囲気に包まれた季節となりました。年の瀬は、何かとあわただしく、事件や事故が起きやすくなりますので、気を引き締めて犯罪等の未然防止に努めていきたいと思っています。
さて、にわかには信じられないのですが、我が国における犯罪認知件数そのものは、年々減少しているそうです。しかし、中身をよく見てみますと、高齢者にまつわる事件や事故がなんと多いことか。高齢者の万引き、介護疲れによる無理心中や殺人事件、一人暮らしの高齢者の孤独死やゴミ屋敷絡みの近隣とのトラブルなどです。さらに、高齢者をターゲットにした振り込め詐欺事件も後を絶ちません。こんなにもテレビや新聞などで注意喚起がなされているにも関わらず、未然に被害を防げないことにじくじたる思いがあります。
こうした背景には、年金だけでは暮らしていけない高齢者の困窮問題や老老介護、介護離職による親子の共倒れ、人との関わりを拒否して家に閉じこもる高齢者の孤立の問題などがあります。また、地域においても、お茶を飲む機会や祭りや行事が少なくなることで住民同士の交流の機会が失われ、犯罪などに関する情報が共有されないことも災いしています。基礎自治体のトップとして、身近にこうした家族や地域の実情を見るにつけ、我が国は足元から崩れかかっているように思えてなりません。
残念ではありますが、今のところこのように深刻化した社会病理を一気に治療するための即効薬は見つかっていません。犯罪のない明るい社会を築いていくためには、地道ではありますが、人と人との絆をつむぎ合い、お互いを支え合う「ご近所の底力」を上げ、犯罪の抑止力を高めていく以外に方法はないのではないかと思っています。
町としてはまず第一に、プライバシーに配慮した防犯カメラの設置や防犯灯の増設などにより、「犯罪が起きにくい環境づくり」に努めてまいります。また、警察、防犯実動隊、行政区、金融機関などと連携し、地域ぐるみで子どもたちや高齢者への声がけや見守りを通じて、事件、事故の未然防止に努めてまいります。犯罪を起こさない、犯罪に巻き込まれることのない希望に満ちた年末年始にしたいものです。
平成29年12月 柴田町長 滝口 茂
H29.11 働き方改革について
勤労感謝の日は、勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあうことを趣旨として制定されました。
農業国家であった頃のわが国には、皆で米作りを行い、五穀の収穫を神に感謝することで、働く喜びを感じる感性が息づいていました。産業構造が農業から工業へと変化しても、労使協調、終身雇用といった家族的な雰囲気での経営が行われ、働く人が大切にされていました。こうしたわが国独自のしくみが経済の強みとなって、戦後の高度経済成長を支えたものと思っています。働く側にも、会社のために一生懸命に働けば給料が増え、地位も上がり、家族のためにマイホームも手に入れることができました。長時間モーレツ社員として働いても、誰もそれを苦痛だとは思いませんでした。
しかし、バブル崩壊後、産業のグローバル化や情報化の波が押し寄せ、企業は世界規模での競争を余儀なくされるようになりました。また一方で、日本の人口が減り、2030年には約700万人もの労働力不足が懸念されるようになっています。こうした状況を踏まえ、国や経済界側からは、今後のわが国の持続的な発展のための方策として、労働の量や質の改革が提起されました。まず取り上げられたのが、雇用に関する規制緩和でした。確かに、規制緩和によって、企業の競争力の強化や経済の活性化が図られましたが、その副作用として、長時間労働による過労死の問題、派遣社員や契約社員と正規社員との格差の拡大、いわゆるブラック企業の誕生など、働き手を単に雇用の調整弁としか考えない風潮が蔓延してしまったのは、とても残念なことです。
さらに、国は働き方の改革として、労働の成果が時間ではなく成果によって給料を支払う制度の創出を検討しています。仕事が多様化した今日、成果主義は一
本来、働くということは、自分の能力を活かし、人間らしい生活をするために行うものです。経営者も働き手の能力を引き出しながら会社を発展させ、社会のために貢献することに存在意義があります。
勤労感謝の日を迎え、改めて働く意義を考えてみたいと思います。
平成29年11月 柴田町長 滝口 茂
H29.10 2020年東京オリンピック
2020年の東京オリンピックに向けて国立競技場の建設など、着実に準備が進められています。
前回(1964年)の東京オリンピックで最も印象に残っているのは、開会式で整然と行進する日本選手団の姿です。さらに、最終の聖火ランナー坂井義則選手が聖火台の横に立ち、青空めがけて燃えたぎる聖火をかざした際には、日本人としてとても誇らしい気持ちになったものでした。
各競技においても、東洋の魔女と呼ばれた女子バレーの金メダルや、重量挙げ三宅義信選手(村田町出身)の金メダルなど想い出に残るシーンは数多くありました。一方で、柔道の決勝でオランダのアントンヘーシンクに押さえ込まれ、巨体の下で身動きがとれない神永選手の姿に、日本柔道が負けた悔しさも味わいました。
当時の私は、多感な中学生だったこともあって、日本が勝つか負けるか、勝負だけにこだわり、選手一人一人のオリンピックにかける熱い思いや苦しい胸の内には心が及びませんでした。
しかし、年齢を重ね65歳で見たリオデジャネイロオリンピックでは見方が変わりました。16対19からのビハインドを跳ね返し、金メダルを勝ち取ったバドミントン「タカマツ」ペアの最後まであきらめない精神力、柔道女子田知本選手にロンドン五輪の屈辱を果たせてあげたいとの親心から、南條監督(柴田町出身)自ら畳の脇でコーチを務め、励まし続けた姿に心を動かされました。そして、なんといっても感動したのは、最年長者として卓球女子チームを引っぱり、接戦の末、銅メダルを獲得した際の「泣き虫愛ちゃん」の「とても本当に苦しい、苦しいオリンピックでした」とのインタビューでした。重圧に耐え抜き、リーダーとしての責任を果たした愛ちゃんのうれし泣きに、私もつい、もらい泣きをしてしまいました。晴れ舞台でメダルを獲得したオリンピック選手と子どもたちが直接ふれあう場をつくれないかと考え、町では現在、仙台大学と連携してトップアスリート育成事業を展開しています。さらに、東京オリンピックに向けたベラルーシ共和国の新体操ナショナルチームの事前合宿のホストタウンとして、白石市、仙台大学とともに受け入れ準備を進めています。
子どもたちには、選手からオリンピックでメダルを獲得するまでの胸の内を聞いたり、また、東京オリンピックを目指して厳しい練習に励むベラルーシの選手の姿や情熱を目の当たりすることで刺激を受け、「将来オリンピック選手になりたい」という夢や志を膨らませていただければと思っています。
平成29年10月 柴田町長 滝口 茂
H29.9 孤独死について
高齢化社会が急速に進展したことで、これまでには考えられないような事件や事故が起きています。最近頻繁に報道されるのが高齢者が運転する車の暴走や高速道路での逆走による事故です。また、相変わらず減らない高齢者をターゲットにしたオレオレ詐欺や高齢者による万引きも問題となっています。
特に気になっているのが孤独死の問題です。孤独死とは「誰にも看取られることなく息を引き取ること」と定義されています。亡くなられてから数日後に発見されたというケースが年々増加傾向にあります。宮城県内では、2016年に903人を数え、過去10年間で最多となり、うち約7割は男性でした。これまでは大都市で起こる特異なケースと思っていましたが、柴田町においても、孤独死と思われるケースが散見されるようになり、報告を受けるたびに心を痛めています。
その背景の一つとして挙げられているのが、結婚しない単身世帯や一人暮らしの高齢者の増加です。特に、一人暮らしの単身男性は、定年を迎えると同時に、これまでの会社を中心とした人間関係が希薄化するため、女性に比べて孤立するリスクが高くなりがちです。また、地域においては、お隣同士の御近所づきあいが少なくなり、「お互い様」とか「助け合い」とかいった地域の包容力が低下してきたことも、孤独死の増加に拍車をかける大きな要因となっています。
孤独死を防ぐためには、なんといっても誰もが社会から孤立しないようにすることが大事です。
東京都江戸川区のなぎさニュータウンでは、住民同士が「助け合いの会」をつくって、有償での身体介護や生活介助や付き添い等を行い、孤立しない地域づくりに取り組んでいます。役所は役所で、安否確認や居場所づくりを通じて、孤立による孤独死を発生させないようにしています。しかし、一番肝心なのは、やはり本人自らが日頃から、家族はもとより、地域において多くの縁をつむぐ努力をしておくことが大事ではないかと思います。町には老人クラブの活動やスポーツ、文化、ボランティア活動等、つながりをつくる場が数多くあります。また、9月には、各地で敬老会も開かれます。まずは、こうした活動や行事に参加し、自ら地域社会から孤立しないよう心がけていただければと思っています。
平成29年9月 柴田町長 滝口 茂
H29.8 ランドスケープデザイン
皆さん、旅行に出かけた際には、どんなところに興味を持たれますか。自然の美しさ、名所、旧跡、郷土料理、伝統工芸品など人それぞれだろうと思います。私の関心事はなんといっても、街並みだったり、街路樹や公園の佇まいです。街路にはどんな樹木が植えられているのか、グランドカバーにどんな草花が植栽されているのか興味津々です。
多くの市民の憩いの場、そして観光スポットとなる緑の空間の形成は、これからの都市の発展には絶対に欠かせない装備だと思います。
緑豊かな街路や公園を計画的に配置し、街全体の景観美を創造していくことを、「ランドスケープデザイン」と言うそうです。東京や仙台といった都市では、こうした計画に基づきオープンスペースが確保されており、美しい街路樹の下で、のんびりとコーヒーを飲んでいる市民の姿を見るたびに、うらやましく思ってしまいます。
柴田町自慢のランドスケープと言えるのが船岡城址公園や、白石川堤の佇まいです。「樅ノ木は残った展望デッキ」から眺める残雪を抱く蔵王連峰と白石川堤一目千本桜が織りなすランドスケープは、国内はもとより、タイ、台湾、香港等、外国のお客様までも魅了するほどになりました。ランドスケープデザインによる美しい都市空間の整備は益々重要になってくると思います。
しかし、一方で、解決すべき問題も生じています。
公園の木々の落葉の処理、桜並木の老木化や腐食による倒木の危険性、病害虫対策、剪定や草刈等の育成管理上の問題です。
こうした頭を悩ます問題の解決策として求められているのが、行政や造園業者だけによる従来の育成管理でなく、住民との協働による新たな育成管理の仕組み作りです。
幸い柴田町では、柴田町さくらの会の皆さんのような住民団体が育成管理に協力していただいております。また、船岡城址公園やしばた千桜公園、桜の小径への花木の植栽については、日本さくらの会や三菱UFJ環境財団等、民間団体からの寄付を受けて行っております。このように、私たちの町には、住民や民間団体との協働によるまちづくりの素地があります。皆で緑の空間を守っていきたいと思います。
今後は、ランドスケープデザインに基づいた、景観形成方針を立て、四季の変化を五感で楽しめる、歩いて楽しい街並みや心をいやす緑の空間づくりを進めて参ります。
平成29年8月 柴田町長 滝口 茂
H29.7 放課後英語楽校
夏休みに入ると、国際空港ターミナルは海外で過ごそうという方で溢れ、出国ラッシュが続くことでしょう。
海外でのバカンスには、本当に心ときめくものがあるのですが、一方で、言葉が通じない不安もあります。私も何度か海外に出かけましたが、毎回出入国審査の際には緊張しますし、乗り物の乗り方やトイレの場所を探すのにとまどってばかりいます。
また、旅行自体も現地の添乗員さんの後を付いて名所や旧跡、レストランを巡るだけになってしまい、自分一人で現地の人と会話をしたり、買い物をしたりといった体験をあまりしない分、旅の想い出が薄くなっているのが実情です。そのたびに、中学校や高校で、世界の共通語である英語をしっかり勉強しておけば良かったと悔やんでいます。
私が最初に英語に出会ったのは、昭和39年でした。その頃の英語の勉強は、読解や文法に重きが置かれた受験勉強のための英語だったように思います。
当時は、飛行機に乗って海外に行くことなどは夢のまた夢でしたので、英会話の必要性はあまり重視されていなかったのかもしれません。「英語の先生に、英会話を通じて外国人と会話する楽しさを教えていただいていたら、もっと英語が好きになっていたのになぁ」と残念に思っています。
しかし、今はグローバル化の時代です。地方自治体においても、国際交流やインバウンド政策が、行政の守備範囲に入ってきた時代です。子どもたちには、英語を自由に操り、世界で活躍できる人材に育ってほしいと願っています。
町では、教育長の発案で「SAKURA PROJECT」を現在進めています。子どもたちに英語を通じて、町の誇りである桜の魅力を外国人に伝えてもらおうとする試みです。
現在、各学校では放課後の40分間、英語で聞くこと、英語で話すことを中心とした「放課後英語楽校」を開いています。そこでは、英語で外国人と話してみたいという子どもたちが文字通り、目を輝かせて楽しく英語で交流活動を行っています。
来年の桜まつりには、「放課後英語楽校」で学んだ子どもたちが、大人の通訳ボランティアの皆さんと一緒に、外国人の方々を笑顔でおもてなししている姿が見られるものと期待しているところです。
平成29年7月 柴田町長 滝口 茂
H29.6 6月議会に臨んで
いよいよ新しい議員さん方を迎えての柴田町議会6月会議が開かれます。今回の選挙においては、3人の新人議員の皆さまが当選し、ま、た定数18人に対し、6人が女性議員で、しかも、今回県内の町村議会において、初めて女性の議長が誕生しました。そういった意味では、全国に誇れる画期的な議会となりました。
一方、今回の選挙では、「観光より優先すべき事業がある」という主張、安全で安心な暮らしの確保、子どもたちの教育や子育て支援、デマンドタクシーの運行のあり方などが争点となりましたが、残念ながら町民の関心は高まらず、投票率が50.62%になってしまいました。
これまでの町議会議員選挙や町長選挙よりも低い結果となってしまいました。日頃の町政や議会活動への関心の低さが、こうした数値に表れたものと真摯に受け止め、反省しなければならないと思っております。
私たち地方政治家の使命は、地域住民の多様な声ある声、声なき声を拾い集めて、議場において議論を重ね、政策や予算に反映させ実現していくことにあります。私たち執行部も議会も町民の暮らしを少しでも良くしたい、柴田町をさらに発展させていきたいという政治目標は同じだと思います。
しかし、執行部は常に財源に制約されるため、議会との間で政策の手法や事業の優先順位に違いが出るのは、当然のことだと思っています。
だからこそ、本会議や委員会等において議論を戦わせ、調整を図りながら、一致点を見い出していくことになります。結論が出た以上、たとえ議決とは反対の意思を表明した議員でも、一緒にまちづくりに汗を流すのが地方政治のあるべき姿なのです。しかし、これまで若干その点がおろそかにされたきらいがありました。政治家として住民から信頼されるためには、地元にしっかりと根をおろし、日頃から地域のため、柴田町のために率先して汗をかくことだと思います。選挙の時だけ声高に柴田町のまちづくりを叫んでも、町民の関心を呼び起こすことはできません。まずは、6月会議において、丁々発止の議論をしていくことから、町政の見える化を図って参ります。
平成29年6月 柴田町長 滝口 茂
H29.5 台湾訪問雑感
台湾に行ってきました。目的は二つです。
一つは、東日本大震災からの復興に際し、台湾の皆さんからの支援に対する御礼と、平成28年2月6日に発生した地震により被害を受けた台南地域へのお見舞いのためです。
二つには、台湾からの観光客を宮城県に呼び込むためのプロモーション活動を行うためです。
午前7時30分に仙台空港からフライトし、福岡空港で乗り換えて台湾の桃園空港に着いたのが午後2時(日本との時差1時間)です。
何度か外国を訪れていますが、空港に着陸した際に窓から見える日本とは異なる景色に、また外国に来たのだなぁとつい感激してしまいます。しかし、今回初めて目にした台湾の景色は、あまり日本とは変わりなく見えました。
台湾の新幹線に乗って、一路台南市へ。新幹線からは、散居した集落や水田が切り目なく続き、密度は違いますが、東京から大阪までのベルト地帯と同じような風景が続いていました。私は西側に座っていたので、限りなく開けた平野部しか見ることができなかったのですが、台湾には富士山より高い山があるそうです。日本が台湾を統治していた際、日本で一番高かった山が新高山だったそうです。真珠湾攻撃の際に使われた暗号「新高山登れ1208」はここからきていることを初めて知りました。
昔、台湾には多くの日本人が住んでおり、今回一緒に参加した、ある首長さんの叔父さんも台南で警察官をしていたそうです。
多くの方々が親日で、その日の夜には台南市台日友好交流協会の皆さんとの夕食会がありました。そこで印象に残ったのは、「今の80代、90代のお年寄りは日本語が話せるので日本に好意を持っているが、私たち50代は日本と交流する機会がそう多くないため、日本のことをあまり知らない。これからは、小さな子どもの頃からの交流が大切です。皆さんはインバウンドのためにいらっしゃったのでしょうけど、アウトバウンドも一緒にしないと交流は長続きしません」という歓迎挨拶でした。
私はあまりにも台湾のことを知らなさすぎたことを恥じる旅となりました。
平成29年5月 柴田町長 滝口 茂