R4.3 スマート農業への挑戦
現在、中名生・下名生地区、葉坂地区、富上地区に加え、令和4年度には新たに、入間田地区が県のほ場整備事業に採択されるように、要望しているところです。
町民の皆さんは、ほ場整備という言葉はあまり耳慣れないかも知れません。よく市街地で行われている、土地区画整理事業の水田版とイメージしていただければ分かりやすいかと思います。一つ一つが小さく形がいびつな田んぼを、一定の面積に作り直すとともに、用排水路や農道などを整備し、効率的な農業を行うために必要な工事を行う事業です。
なぜ今、ほ場整備事業が必要かといいますと、近年農村集落においては、稲作離れが深刻で、田んぼを所有していても耕作を行わず米作りは、本格的に稲作に携わっている担い手農家に頼んでいるのが実情です。しかし、米作りを頼まれる担い手農家も年々減少していますので、農作業を行うには効率の悪い、不整形な田んぼでの耕作は引き受けたがらなくなっています。
そこで、地域の人たちの同意を得て、田んぼの大区画化や農道を拡幅し、大型の農業機械を使った、少ない人員での効率的な農作業を実現できるように、ほ場整備を実施するものです。また、ほ場整備でぬかるんだ田んぼを乾田化して、大麦や大豆など、米以外の作物を育てて収益力を向上させることで、自立できる担い手農家の育成も目指しています。
しかし、水田農業で心配されていることは、急激に人口が減って、米を食べる人が年々少なくなり、米余りが常態化していることです。特に令和3年においては、新型コロナウイルスの影響で、外食産業の需要が大幅に落ち込んだこともあって、米価が大きく下がりました。
町では、今年の作付けに支障が出ないように、1反当たり4千円の支援を行いました。しかし、毎年米価が下がるたびに税金で補填し続けることはできませんので、新たな打解策が必要となっています。
ほ場整備事業で単に田んぼを広げるだけに留まらず、デジタル時代に合った新たな農業として、ロボット技術や通信技術を活用した農作業の自動化、栽培履歴や気候変動データなどを分析し、生産品質の向上や高収益につなげるなど、いわゆるスマート農業にチャレンジすることで、新たな水田農業の活路が開拓できるのではないかと思っております。
柴田町長 滝口 茂
R4.2 デジタル社会への対応
新型コロナウイルス感染症拡大防止対策の一環として、ソーシャルディスタンスが推奨されたことから、テレワークやリモートでの会議が一気に普及しました。知事と市町村長との新型コロナウイルス対策に関する会議もリモートでの実施となりました。
日常の消費生活においても、現金を使わずにスマホでキャッシュレス決済をする人が増えています。また、大手ファッション店で導入されているセルフレジでは、商品をカゴに入れたままレジに置くだけで、一瞬で合計が表示され、会計を済ませることができ、大変驚いたところです。
鉄腕アトム時代のアナログ派の我々世代にとって、漫画の世界だけだと思っていた電気自動車やロボット、ドローンでの配達などが、まさか現実になる日が来るとは想像もできませんでした。
今、着実に私たちの身の回りにおいて、デジタル化や新技術の開発が進み、人々の暮らしや働き方、さらに社会のありようが大きく変わろうとしています。人々の暮らしに溶け込み始めたデジタル技術は、当然役所の業務や住民サービスの在り方にも影響を及ぼすことになります。
役所においては現在、改善型のDX※と戦略的なDXの両面からのアプローチを模索しているところです。
改善型DXは、これまでの業務をAIやITを使って効率化を図るものです。例えば、AIが発言者を識別し、自動で文字を起こすシステムは、議会などの議事録作成に活用され効果を挙げています。
次に戦略的DXとは、これまでとは全く異なるやり方で、住民の利便性を高めるための取り組みです。行政手続きのオンライン化や、窓口でのワンストップサービス、観光情報や子育て支援サービス、避難所の混雑情報を提供するアプリの導入などに取り組む自治体も多くなっています。町では手始めに、マイナンバーカードをお持ちの方が全国のコンビニなどに設置されている端末から、住民票の写しや戸籍、課税・非課税証明書等を取得できるようにしました。
人口が減り、公務員のなり手不足が懸念される一方で、求められる業務はどんどん増えるばかりです。今後、自治体を取り巻く厳しい環境変化に適応していく上でも、デジタル化への対応は急がなければならないと考えています。
※DX(デジタルトランスフォーメーション)
Digital Transformationの略で、デジタル技術やデータの利活用および、それに伴う組織、制度の変革が人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること。
柴田町長 滝口 茂
R3.12 未来の都市づくり
今年の町政運営はコロナ禍への対応一色となってしまいました。そうした中においても、柴田町の未来の都市像を描くために、都市計画マスタープランや立地適正化計画の策定に取り組んでいるところです。
都市計画マスタープランとは、都市計画区域を対象に今後のまち全体のあるべき姿や方向性を示すものです。立地適正化計画はマスタープランの高度化版となります。
現在、柴田町の市街地は槻木地区、船岡地区、そして船迫地区の3つのエリアで構成されています。これまで、この3つのエリアをさらに発展させるために、槻木地区では槻木駅周辺に中庭を造り、そこへお店を集めるパティオ事業や、駅とバイパスを結ぶ都市計画道路の整備が計画されたことがありました。しかし、残念ながらその計画が日の目を見ることはありませんでした。船迫地区は、この20年の間に町営住宅5棟が完成し、また、特別養護老人ホームやケアホームが立地するなど、安心して暮らせる環境が整いつつあります。今年度は北船岡地区に新たな公園も完成します。
次に船岡地区は、近年船岡駅周辺に金融機関が集積し、新たに喫茶店ができたり、役場の改築が行われるなど、街の表情が変わろうとしています。しかし、船岡地区全体の重心は徐々に東に移り、現在は大沼通り線や新栄通り線周辺に多くの商業施設が集積するようになりました。今後、新栄通り線を阿武隈急行線の高架橋まで延伸し、東船岡駅とのアクセスを良くした中で、居住地区の整備やロードサイド店の誘致などを行い、新たな街並みを形成していきたいと考えております。
今回の都市計画マスタープランには、この東船岡駅周辺エリアを加えた4つの拠点と農村部とをシームレスに結ぶ、コンパクトアンドネットワーク型の都市構造の形成を盛り込みたいと考えています。
現在、国ではデジタル化が進展する中での未来の都市像として、先端技術やデータを活用した「スーパーシティ構想」を提唱しています。一方で、コンクリートで囲まれた大都市ではなく、四季折々の自然や人と人とのぬくもりが感じられる地方都市にこそ、未来の都市モデルが描けるとも言われています。
柴田町としては、デジタル社会における利便性と、緑の豊かさを兼ね備えたガーデンシティを未来の都市モデルとして描きたいと思っています。早急に都市計画マスタープランと立地適正化計画を完成させ、公民連携の下に未来都市の建設に向け歩みを進めてまいります。
柴田町長 滝口 茂
R3.11 地方での新たな働き方
ここにきて若者たちの働き方や、働く場所に対する考え方に変化が生まれています。
雇用の流動化で、低賃金や不安定な働き方を余儀なくされたり、デジタル化の進展でパソコンを前に、時間に追われて働いているのが若者たちの姿なのです。彼らの間では、コロナ禍の影響もあり、過密した都市を離れて、自然豊かな地方で働く事への関心が高まってきています。私の時代には当たり前だった、「都会に出ていい会社に入り、定年まで大禍なく働く」というこだわりは、今の若者にはないようです。
こうした若者たちが、都市地域から地方へ移住し、定着を図るために制度化されたのが「地域おこし協力隊」です。
地域おこし協力隊は、地方自治体から委嘱を受け、おおむね1年以上3年以内の期間、これまでの経験や能力を生かして、地域における課題の解決などの「地域おこし活動」を行っていただくことになります。隊員の斬新な視点や活動への熱意や意欲によって、行政だけではできない柔軟な地域おこし活動が可能となり、地域へも大きな刺激をもたらすことが期待されています。また、活動期間の終了後には、地域おこし協力隊の経験を生かしてなりわいを見つけ、その土地へ定住してもらうことも目的としています。
柴田町においても、3人の地域おこし協力隊員が活動しています。彼らの夢は、柴田町産の蕎麦を使った蕎麦屋を開業したい、農業を基軸とした新しい暮らし方を提案したい、アウトドアセレクトショップをオープンさせ、柴田町のアウトドアの活動を盛り上げたいとさまざまです。
3人の隊員は現在、それぞれの夢の実現に向かって、農家の人から生産に関わる知識や、お店を経営している人から経営ノウハウを学ぶなど、知識や技術の向上に努める傍ら、昨今のコロナ禍の影響で苦戦をしながらも、地域の方と交流できるイベントの開催など、地域活性化のアイデアを実践しようと頑張っています。
彼らにはゆったりとした時間が流れる田舎暮らしの中で、自然の恵みや勤労に感謝しながら働く一方で、自分のやりたいことや好きなことに熱中し、地域の人と共に生きるといった新たなライフスタイルをこの柴田町で実現してほしいと願っています。
こうした地域おこし協力隊員が地域に溶け込み、ひいては定住に結びついていけば地域に活気が生まれて、さらなる地域力の維持や強化につながるものと思っています。
柴田町長 滝口 茂
R3.10 PPP手法の導入による総合体育館の建設
総合体育館の建設に向け、いよいよ民間事業者からの提案募集を始めます。どんな素晴らしい提案がなされるのか楽しみです。
総合体育館は10年前、東日本大震災で大きな被害を受けた、柴田町民体育館の代替施設として計画されました。
平成24年には、建設用地として不二トッコン跡地を、議員全員の賛同を得て取得しました。
当時は、総合体育館と図書館との綱引きもあり、なかなか前に進みませんでしたが、お互い批判ばかりしていては、双方の施設は建てられなくなると訴え、「総合体育館建設後、遅滞なく図書館建設に向け準備を始める」ということで、折り合いがついた経緯がありました。
建設を進めるに当たっては、総合体育館のあるべき姿や規模について、住民や区長、スポーツ団体、文化団体などと、何度となく意見交換を重ねてきたところです。
平成27年には総合体育館基本構想、その後、基本計画、基本設計と順調に計画を進めてきました。しかし、一方で、人口減少や少子高齢化の進展に伴い、税収の伸び悩みや社会保障経費の増大もあって、財政悪化への不安が頭によぎるようになっていました。その時、議会から紹介があったのが、官民連携による岩手県紫波町のオガールプロジェクトでした。そこで提案されたのは、「これからのまちづくりは、行政だけでなく民間の知恵を借り、民間の資金を活用して総合体育館を建てるべきだ」という意見でした。
提案当初は、私も職員も官民連携手法に不慣れで、戸惑いがあったのですが、その後、PPP手法について専門家に学び、令和元年には国土交通省主催の東北ブロックプラットフォームサウンディングで民間企業との意見交換を行うなどして自信を深め、今回の提案募集に至った次第です。
PPP手法では従来の仕様発注に変わり性能発注となり、計画段階から民間の創意工夫によって、トータルコストの最適化や質の高い公共サービスの提供が図られることで、柴田町の身の丈に合った総合体育館ができるのではないかと期待しています。
町民の皆さまには、柴田町のシンボルとなるような大型の箱物を所有するという観点ではなく、総合体育館を利用し尽くすという利用価値の観点から建設することを、ぜひ、ご理解いただきたいと思います。
柴田町長 滝口 茂
R3.9 舘山(船岡城址公園)の変遷
今回、船岡城址公園に隣接する民有地、約10万平方メートルを取得しました。
これで適宜、舘山山頂西側の樹木の剪定が可能となり、蔵王連峰の山並みが遮られる心配はなくなりました。私は山頂からの蔵王連峰や太平洋、阿武隈山地や白石川の眺望は、未来永劫、後世に引き継いでいくべき柴田町の財産ではないかと考えています。
一方、戦後の舘山そのものは、時代の変遷とともにその姿を大きく変えてきました。戦後は生活の糧を得るため、畑として耕され、栗や梅の木が植えられました。また、3カ所の石切場からは、石材が搬出されていました。さらに、昭和45年のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」が放映されると、その舞台となった舘山は観光ブームに沸き、多くの観光客が訪れるようになったため、急遽ブルドーザーで山を削り、谷を埋めて突貫工事で観光地づくりが進められました。その時に造られたのが、三ノ丸への車道や駐車場、そしてスロープカーでした。
しかし、「樅ノ木は残った」の放映が終わると観光ブームは一気に去り、観光客が来なくなった舘山は手を加えられることもなくなり、山全体がやぶと化すだけではなく、粗大ゴミが捨てられるようになってしまいました。
そこでなんとか、「つわものどもが夢の跡」になってしまった舘山を、再びにぎわいあふれる観光地に戻そうと計画し完成したのが、しばた千桜橋や桜の小径などでした。こうした観光地の着実な整備によって、全国はもとより、約8千人余りの外国人が花見に訪れる観光地として復活することができました。
このように、着実に舘山の好感度が高まってきているのですが、一方で、最近耳にするのが「あまりにも舘山が開発され過ぎて、在来種が消え胸を痛めている」という声です。しかし、それは的を射ていないように思えます。数十年来荒れ果てたままとなっていた舘山を女性一人でも安心して歩けるように再整備したからこそ、在来種の存在にも気づけるようになったと捉えるのが正しい認識ではないのかと思います。
これまで、2月に咲く寒紅梅の植栽に始まって、4月のハナモモ、6月の紫陽花、9月の彼岸花、そして12月の光の花と、四季折々に楽しめる花園を整備してきた結果、舘山は年間を通した花咲き山となり、またふるさと納税で17億円を稼ぐ宝の山となりました。今後とも悠久の景観を守りながら、新たな舘山の魅力を創造する不易流行の考え方で、観光まちづくりを進めてまいります。
柴田町長 滝口 茂
R3.8 海外旅行の楽しみ方
例年、8月の国際ターミナルは、バカンスを楽しむ旅行者で混雑するところですが、世界中で新型コロナウイルスが蔓延しており、今年は海外からのオリンピック関係者だけの人の流れになりそうです。
さて、海外旅行の目的で多いのは、「異国で気分転換を図りたい」、「海外のグルメを楽しみたい」となっています。私もこれまで、多くの外国を訪れましたが、その目的のほとんどが仕事でした。
しかし、仕事の合間に異国情諸あふれる街並みや公園を歩いたり、市場に出かけて現地の人たちの食生活や暮らしぶりに触れたりと、外国ならではの醍醐味を味わうことができました。
海外に出かける際の心配事は、何といっても言葉の壁です。そのため多くの日本人は海外旅行をする際に、旅行会社が企画したパッケージツアーを利用しています。
こうした海外ツアーは、現地ガイドが付く団体旅行となりますので、何不自由なく効率的に観光地や名所旧跡を巡ることができますし、おいしい料理を食べることもできます。一見好都合のように思えるパッケージツアーですが、その反面、日本人だけの団体行動のため、現地の人と会話をする機会は少なく、またハプニングに出会うこともないので、海外旅行の印象は薄いものになりがちです。
私が体験したハプニングは台湾でのことです。台北行きの列車の乗り方がわからずにローカル駅の切符売り場で戸惑っていると、二人の若い女性が片言の日本語で声をかけてくれました。彼女たちは、一緒に台北行きの列車に乗ってくれて、さらに台北駅に着いてからも正面玄関まで道案内をしてくれました。
その親切さに対し、台湾語でお礼を言いたかったのですが、気後れして話すことができず、改めて言葉が通じないもどかしさを感じたところでした。
ところが最近、自動翻訳機の性能が格段に進化したことで、お互いの言葉が通じなくても、手軽にコミュニケーションが図れるようになってきています。まさに英会話ができない私にとっては朗報です。
この自動翻訳機が全世界に普及していけば言葉の壁も低くなり、お互い異なる文化や風習、考え方への理解も深まってくると思います。そうなれば、ガイドがいなくても一人で気軽に現地の人々の中に溶け込み、その土地ならではのグルメや文化、風景を楽しむ一人旅も簡単にできるようになるだろうと思います。
早くコロナ禍が収束し、再び海外との交流が活発になることを、心から念じています。
柴田町長 滝口 茂
R3.7 歩く旅のおもしろさ
コロナ禍の中、三密を避けた新しい生活スタイルの一つとして関心が高まっているのが「歩く旅」です。
この「歩く旅」、歩くしかなかった昔の人たちにとっては、お寺や神社への参詣はもとより、世の中の見聞を広めたり、新しい知識や流行などを知る上で、人生最大のエンターテインメントでした。
四国八十八箇所を巡る四国遍路や熊野詣で人々が行き交った熊野古道など、各地には昔の人々が歩いた古道がたくさんあります。江戸時代に書かれた「東海道中膝栗毛」は、まさに旅の楽しさを描いたものでした。
現代の旅は、交通機関を利用するものがほとんどですが、ここにきてNHKのブラタモリをきっかけに、各自治体における地域活性化策として、「歩く旅」の導入がさまざまな形で検討されるようになっています。
「歩く旅」のスタイルはさまざまで、ブラタモリのように、まち中に残る古い地図や遺構、地形から当時の町並みの様子や人々の暮らしぶりを想像しながら、知らないことを知るおもしろさを味わえるまち歩きがあります。また、上山市では、健康寿命の延伸やメンタルヘルスの面から、毎日、里山や温泉を巡るクアオルトウォーキングを提唱し、市民の健康増進を図るとともに、健康に興味のある観光客や企業との連携交流を通じて、地域の活性化につなげようとしています。さらに、三陸の山並みや海岸線などの大自然、その土地の歴史や食などを楽しみながら歩く、東北みちのく潮風トレイルや宮城オルレのコース整備も進んでいます。
柴田町でも、これまで里山ハイキングコースやフットパスコースの整備や、コースマップの作成、さらに歴史観光ボランティアの育成など、「歩く旅」の受け皿づくりに努めてきた結果、おかげさまで少しずつ歩く人が増えてきました。しかし、「歩く旅」への関心は高まってきたばかりですので、これをさらに普及定着させていくためには、新たなしかけが必要です。
まずは、コースの案内板や道標の整備、コース周辺の歴史や文化の見どころなどの見える化、また、おいしいものを食べながら地元の人と交流できる体験機会の確保など、できるところから取り組んでまいります。
先人たちが歩いたまち中や里山をのんびりと自分のペースで歩けば爽快であり、新たな発見や出会いにもつながり、心身ともに健康で充実した人生の一助になると思います。
柴田町から「歩く旅」のおもしろさを伝播させてまいりたいと思っています。
柴田町長 滝口 茂
R3.6 防災機能を備えた総合体育館の建設
6月12日は「みやぎ県民防災の日」です。これは、昭和53年6月12日に発生した宮城県沖地震などを風化させないために制定されたものです。はや、宮城県沖地震から43年、東日本大震災からでも10年が経過しましたが、ここにきて再び、大きな揺れの地震が頻発しており、今後大規模な地震が起こるのではないかと心配でなりません。また、もうひとつの心配ごとは、平成25年に柴田町民体育館が解体されて以来、多くの町民を収容できる避難所が確保されていないことです。
そこで、柴田町民体育館に代わる大規模な避難所として想定したのが、総合体育館の建設でした。平成24年にスポーツ文化ゾーン整備方針を立て、その建設用地として、議員全員の賛同を得て取得したのが旧不ニトッコン跡地です。
しかし、東日本大震災後は学校の校舎、体育館、武道館の大規模改修や修繕、エアコンの設置やトイレの洋式化などの事業を優先せざるを得ず、総合体育館建設は遅々として進みませんでした。ここにきて学校の環境整備について、ほぼ完了の見通しが立ちましたので、昨年、陸上自衛隊船岡駐屯地の皆さまの協力を得て土地の造成工事を終えたところです。さらに、今年度においては「実現可能性調査コンサルタント委託料」を予算化し、民間の資金を活用した建設手法を検討することにいたしました。
平成30年度に策定した柴田町総合体育館基本設計をベースに、バスケットボールコート2面、観客席、シャワールームなどを最低限の標準装備とし、さらに防災機能の併設を募集要綱に盛り込んでまいります。その上で、民間ならではのユニークな提案がなされることを期待するものです。
来年の3月会議前までには、従来の建設手法と公民連携(PPP・PFI)による建設手法とを比較検討し、柴田町の身の丈に合った総合体育館を建設したいと思っています。
一方で町民の間には、少子高齢社会が進展する中でスポーツ人口が減っており、「いまさら大きな総合体育館を造らなくても良いのでは」との声があることは承知しております。しかし、“いざ災害”が起こったときに多くの町民の皆さまが、応急復旧が終わるまでの間、安心して避難生活を送ることができる場所を確保しておくことは、行政の責務ではないかと考えております。
議会の判断がどのように示されるか分かりませんが、早く柴田町のシンボルとなるような防災機能を備えた総合体育館を建設し、”いざ災害”という時に備えたいと思います。
柴田町長 滝口 茂
R3.5 地方議員のなり手不足
4月から新しい議員構成による、柴田町の通年議会がスタートしましたが、今、地方議会で問題となっているのが議員のなり手不足です。柴田町議会でも例外ではなく、3月の町議会議員選挙は無投票となりました。
なぜ、住民に一番身近で、住民の声を直接政治や行政に反映させやすい地方議員のなり手が少ないのか。その要因の一つに、住民自身が地方政治に関心を持たなくなってきた点が挙げられています。
国が国民の生活水準を保障する「ナショナルミニマム」が十分に達成されなかった時代、政治への関心はもっぱら政治家に頼んで、少しでも自分が住んでいる地域や団体の利益を守ろうとすることでした。そのため、地方選挙では、自分たちの意に沿った政治家を当選させようと、“津軽選挙”という言葉も生まれる程、激しい選挙戦が繰り広げられました。
しかし、ある程度ナショナルミニマムが達成されてきますと、住民の関心は地方の政治から、子育て支援や社会保障、環境問題、消費税など、個人の生活に直結する国政へと移っていった経緯があります。
二つに、地方議員の報酬の問題です。専門職である国会議員や県議会議員とは異なり、市町村議員は今なお、“ボランティアで良い”という考えを持つ住民も多いため、報酬は低額となっています。これでは、若い議員が家族を養いながら常時議員活動を行うことは困難です。さらに、4年に一度、選挙の洗礼を受けなければなりませんので、若い人はリスクを犯してまで地方議員になろうと思わないのは当然なのかもしれません。
そこで、柴田町議会では、もっと議会や議員活動を住民の皆さんに知ってもらおうと、高校生とのワールドカフェや住民参加型のシンポジウムの開催、PDCAサイクルに基づく予算審査など、率先して議会改革を行っています。こうした先駆的な取り組みは、地方行政の専門誌「月刊 ガバナンス」でも紹介されました。
地方議員のなり手不足の解消は、こうした改革を通して地方議員のやりがいを知ってもらうとともに、幅広い層の住民が議員として活躍できる仕組みづくりや、議員活動と生活が両立できる適正な報酬を用意することが必要です。
幸い、今回の選挙では、なり手不足の中にあっても、4人の新人議員が誕生しました。ぜひ、新たな考え方のもとで、柴田町議会の改革がさらに加速し、地方議員に関心を示す若者が多くなることを期待しています。
柴田町長 滝口 茂