樅ノ木は残った
今もなお船岡城址公園に残る1本の大きな樅ノ木。時代の生き証人として、その樅の木に秘められた柴田町の古い歴史を紐とくとき、寛文事件がたどった悲哀の運命がまざまざと蘇ってきます。
今から約340年前(万治3年)仙台藩62万石3代目藩主、伊達綱宗が不行跡を理由に幕府から隠居を命じられ、2歳の亀千代が家督を相続したことに端を発する、のちに伊達騒動とも呼ばれる寛文事件。その寛文事件をテーマにした山本周五郎作のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(昭和45年に放映)に登場する原田甲斐は、今までの逆臣説から一転、伊達政宗の子、兵部を利用して仙台藩のとりつぶしを狙った酒井忠清の陰謀を未然に防ぎ、伊達家の安泰を守った忠義の人物という新見解によって描かれており、これまでの定説を覆す、新たな甲斐として注目を集めました。
寛文11年、酒井邸での「郡境の件尋問」の後、流血騒動となり、甲斐は斬死、一族の男は切腹、女はお預け、多くの家臣は帰農となり、悲哀の運命をたどりました。
ドラマがテレビで放映されると、船岡城址公園に残るゆかりの樅ノ木を一目見ようと、多くの人が柴田町を訪れました。
この「樅ノ木は残った」ゆかりの地に、平成23年10月15日「樅ノ木は残った展望デッキ」が完成しました。
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