町の歴史【昭和31年から昭和50年】
【 昭和31年から昭和50年 】
昭和31年 | 3月22日 | 槻木町と船岡町が合併に調印 |
4月1日 | 柴田町が誕生 | |
5月 | 初代町長に柴田倫之助氏が就任 | |
昭和32年 | 2月20日 | 米軍から船岡キャンプの一部が日本に返還される |
(引き続き自衛隊が使用) | ||
昭和33年 | 2月13日 | 旧第一海軍火薬廠跡活用促進期成同盟会が発足 |
4月30日 | 陸上自衛隊船岡駐屯地部隊が仙台市苦竹に移駐 | |
6月5日 | 米軍が船岡キャンプを全面返還する | |
昭和34年 | 2月 | 2,500万年前の古代象(ミヨコ象)の歯が並松で発見 |
昭和35年 | 1月19日 | 第1海軍火薬廠跡地の自衛隊使用が決定 |
4月24日 | 町長に平間新午郎氏が就任(昭和51年2月迄) | |
5月8日 | 陸上自衛隊第103建設大隊が愛知県豊川市から移駐 | |
昭和36年 | 6月 | 工場誘致第1号、(株)特殊コンクリート工法の進出が決定 |
10月17日 | 柴田町の町章を制定 | |
11月4日 | 町制施行5周年記念式典を開催 | |
昭和37年 | 1月18日 | 農業構造改善事業計画を樹立 |
6月 | 第1次水道建設工事が完成 | |
昭和38年 | 11月 | 農業構造改善事業に着手 |
富上地区の水田を30a囲いに整備 | ||
昭和39年 | 8月25日 | 槻木中学校校舎が完成 |
10月14日 | 船岡大橋が開通 | |
昭和40年 | 4月22日 | 三町立(柴田・大河原・村田)の清掃センターが完成 |
7月 | 葛岡住宅団地が完成 | |
昭和41年 | 2月 | 町内小中学校の学校給食を開始 |
4月 | 神明堂地区を工業団地として買収 | |
4月1日 | 町制施行10周年記念式典を開催 | |
昭和42年 | 4月 | 仙台大学が開校(旧陸上自衛隊船岡駐屯地跡地) |
船岡養護学校が開校 | ||
5月 | (株)東北リコーの誘致が決定(昭和43年3月操業) | |
昭和43年 | 4月1日 | 国鉄丸森線が開通、横橋駅を開設 |
4月13日 | 柴田児童館が開館 | |
10月 | 柴田消防庁舎が完成(11月に交通事故の救急業務開始) | |
昭和44年 | 1月 | (株)山崎製パン仙台工場が操業開始 |
2月 | 船岡中学校新校舎が完成 | |
3月 | 第2浄水場が完成 | |
5月 | 旧槻木公民館が完成 | |
昭和45年 | 1月4日 | NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」放映開始 |
6月 | 柴田町民体育館、柴田町公民館が完成 | |
10月6日 | 西住児童館が開館 | |
10月18日 | 第一回菊人形まつりが開幕 | |
昭和46年 | 6月 | 小山橋架設促進期成同盟会が発足 |
7月10日 | 大河原町との合併問題に伴い、町村合併調査室を開設 | |
昭和47年 | 3月30日 | 槻木バイパスが開通 |
4月 | 老人憩いの家「羽山荘」が完成 | |
昭和48年 | 4月5日 | 勤労青少年ホーム「四保館」が完成 |
12月 | 柴田町役場新庁舎が完成 | |
昭和49円 | 10月 | 農村総合整備モデル事業に着手 |
昭和50年 | 2月 | 槻木コミュニティセンター(槻木事務所)が開所 |
10月10日 | 町のシンボル決定 | |
町の木「もみの木」・町の花「さくら」・町の鳥「きじ」 | ||
12月 | 船岡平和観音開眼法要 |
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