40年の足跡

【 槻木大橋が完成 】

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昭和36年4月から県営で運航されていた「小山渡し」は、平成7年7月7日、槻木大橋の開通によって、廃止となった。

昔から、槻木地区の人たちは阿武隈川対岸の亘理町小山や角田市鳩原に行くときは、渡し舟を利用するのが普通であった。なぜなら、橋がちかくになかったの で、上流の東根橋を利用するか、下流の阿武隈橋を大きく迂回して渡るしか方法がなく、かなりの時間がかかってしまうからだ。その渡し舟も、江戸時代には郡 によって運航されていた。明治時代に入ると、渡し舟へと変わり、川を渡るたびに両地区の住民は舟頭に渡し賃を支払っていた。このような有料の渡し舟は、後 に個人経営から、渡し場近くに住む住人が当番制で運航にあたるやり方に変わっていった。特に小山や鳩原の住民は、嵐などで舟止めになったときや、急病人が 出たり、急用が出来た場合、身動きがとれず苦労していたので、早急な橋梁建設が叫ばれていた。

昭和36年4月、橋梁建設が見送られる中で、渡し舟運航の県営化がとりあえず実現したが、住民の橋梁建設の要望が高まるばかりであった。町や住民は、関係 機関に働きかけ、陳情を行い、約半世紀という長い年月を経て、ようやく待望の「槻木大橋」建設が着手され、平成7年7月7日、開通の日を迎えた。完成した 橋の全長は777.777メートル。主桁部分はブルーを基調とした色でまとめられ、親柱は阿武隈川の悠々とした美しい流れを穏かな曲線で構成。歩道の途中 には、バルコニーも設けられており、古今和歌集の歌碑やパネルも設置されるなど、川流れのそばのくつろぎ空間となっている。

この槻木大橋の完成により、住民生活の利便性が図られ、阿武隈川両岸の市町を結ぶ新しい交通路線が確保された。